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【港・集落】 ペグー

ベンガル湾の東岸に位置する街。東南アジアに住む民族のひとつ、モン人により建造された街であり、ペグー朝の首都でもある。

【港・集落】 ペグー_e0020973_141066.jpg


573年 言い伝えによると、西暦573年にタトーンからやってきた二人の王女がバゴーを創設した。年代記に、8年間の説法の後、仏陀が弟子と共に、東南アジア諸国を回ったと記述されていた。その帰路でマルダバン湾を横切る際潮が引き、仏陀は2羽の黄金のツクシガモが、鳥の止まり木としては十分な海より突き出た土地の頂上に、メスがオスの上に乗りとまっているのを見た。不思議な現象を目撃して、仏陀は、彼の説で繁栄国家が広大な海の地域にいつか出現すると弟子に予言した。
仏陀の予言の約1500年後、その海の場所は浅くなり、居住が可能となっており、タトーン王朝よりやって来たモン族によって植民されていた。そして、モン族は歴史上Hongsawatoiとして知られる国の最初の支配者となった。
850年頃 街の歴史上の初期の記述は、西暦850年頃のアラブ人の地理学者Ibn Khudadhbinによるものである。当時、モン族の首都はタトーンに移っていた。
1056年 この地域は、1056年にパガンから来たビルマ人の支配下にあった。
1287年 モンゴル人によってパガン朝が崩壊すると、モン族は再び独立をした(ペグー王朝)。
低地ビルマにおいて、モン王朝は当初マルダバン、その後バゴーで設立した。Rajadhirat王の統治下(在位1383年 – 1421年)で、アヴァ王朝とペグー王朝は、絶え間ない争いに巻き込まれた。平和的な女王Baña Thauの統治下(在位1453年 - 1472年)で、彼女は仏僧のDhammazedi(在位1472年 - 1492年)を後継者に選び、争いに終止符が打たれた。Dhammazediの統治下で、バゴーは商業と上座部仏教の中心地となった。
1369年から1539年の間、Hanthawaddyは、Ramanadesaのモン王国の首都であった。この王朝は現在の低地ビルマをすべて支配していた。
1539年、この地域は再び、タウングー王朝のタビンシュエーティー王により併合され、ビルマ人が支配した。タウングー王朝は、1539年から1599年の間と1613年から1634年の間、バゴーを王都とし、繰り返されたシャムの侵攻に対する基地として使用した。主要な港として、街には頻繁にヨーロッパ人が訪れ、壮大な街であると述べた。
1634年ビルマ人の首都はアヴァに再度移された。
1740年、モン族は反乱を起こし、つかの間の独立を再度勝ち取ったが、
1757年ビルマ王Alaungpayaは、街を略奪し完全に破壊した。
バゴーは、Bodawpaya王(1782-1819)によって再建されたが、その時までに川が進路を変えてしまっていたため、街は海と切り離されていた。そして街が再び以前のような重要拠点になることは無かった。

参考URL:バゴーWiki
by cluracan | 2012-03-29 14:19 | Discovery


大航海時代onlineの1プレイヤーの日記


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