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【港・集落】 ボルトベロ

中米、南米との交易の中継地としての役割を果たす、カリブ海に面する港町。ポルトベロとは「美しい港」という意味である。

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パナマ地峡の北部に位置する。かつてはプエルト・ベロ(Puerto Bello)という名だった。
ポルトベロの建設は1597年のことだった。
18世紀までは スパニッシュ・メインのヌエバ・グラナダ副王領における銀の重要な積出港で、スペインインディアス艦隊の寄港地の一つだった。
ポルトベロの町は、ヘンリー・モーガン船長の悪名高い略奪行為の犠牲になったこともあった。モーガンは1668年に私掠船の船団を率いて、450人でポルトベロを攻略した。ポルトベロは優れた要塞をもっていたにもかかわらず、モーガンは14日に渡り占領し、略奪行為に及び、金目のものはほとんど根こそぎ奪い去って行った。
1739年11月21日に、港町は再びイギリス艦隊の襲撃を受け、占領された。ジェンキンスの耳の戦争中のことで、この時はエドワード・ヴァーノン(Edward Vernon)が率いていた。
この戦いがスペイン貿易体制の脆弱性をはっきりと示したことから、その抜本的な変化が行われた。スペイン人は、少ない港に大型船を寄港させるやり方から、様々な港に小型船を寄港させる交易に切り替えたのである。さらに、西海岸での貿易を模索し、ケープ・ホーン(Cape Horn)周辺を巡るようになった。こうした転換は、主要港であったポルトベロの経済に深刻な影響を及ぼし、パナマ運河建設まで立ち直ることはなかった。

参考URL:ボルトベロWiki
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by cluracan | 2012-04-03 21:43 | Discovery

【港・集落】 ボルドー

先史時代の壁画が見つかるほど、太古から人が住んでいた街。長くイングランドの支配下にあったが、100年戦争でフランスの領土となった。水に恵まれた地勢で、農業が非常に盛ん。特に良質のワインを作っている。

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ボルドーの町は紀元前300年にケルト系ガリア人によって創設され、ブルティガラと呼ばれた。
紀元前1世紀にはローマに占領されて主要な交易港となり、ワイン生産が盛んで商業地としてさかえた。
4世紀には、アクイタニア・セクンダ属州の州都となり、大司教座がおかれた。
5世紀にローマ帝国が崩壊した後にゲルマン民族の一派であるゴート人に支配され、
10世紀にはノルマン人のヴァイキングの侵略を受けた。
732年にはイベリア半島から来たアブド・アル・ラフマーンのイスラム軍に占領されている。
1154年、アキテーヌ女公エリアノールがやがてイングランド王となるヘンリー2世と結婚したため、
12世紀から15世紀にかけてイングランドの支配下に入った。
だが、イングランド軍はフランス軍との戦いに敗れ、百年戦争末期の1453年に撤退し、フランスに奪回された。
イングランドの支配下である程度の自治を享受していたため、1548年から1675年にかけてボルドーはフランスの支配に対して反逆した。
ボルドーは18世紀に西インド諸島との貿易で黄金時代を迎える。

参考URL:ボルドーWiki
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by cluracan | 2012-04-03 21:38 | Discovery

【港・集落】 ホバート

オーストラリア南部の島、ヴァン・ディーメンズ・ランドの南岸にある街。ダーウェント川の河口に位置し、立地条件の良さから、漁業基地としての機能を持つに至った。

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ホバートはオーストラリアではシドニーに次いで2番目に古い都市である。
イギリスはフランスの探検家の存在を心配する中で、最初の入植として、1803年にダーウェント川東岸のリズドン湾に流刑植民地(penal colony)を建設した。
1804年にはより良い場所を求めて現在の場所であるサリバン湾に移転した。この辺りは元々、半遊牧民のMouheneer族の居住地であった。ヨーロッパ人との交戦や移民によってもたらされた伝染病の影響でアボリジニの人口は減少し、自由移民や囚人の人口が急速に増加した。
生物学者のチャールズ・ダーウィンは、1836年2月にビーグル号の探検の一環としてホバートを訪れた。
南太平洋の捕鯨やアザラシ貿易、これに関連する造船業の中心地として急速に主要港として発展した。
ホバート・タウンは1842年に市となり、1875年にホバートと命名された。その名はイギリスの植民地秘書官だったロバート・ホバート卿に因んでいる。

参考URL:ホバートWiki
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by cluracan | 2012-04-03 12:42 | Discovery

【港・集落】 ベンゲラ

大西洋に面し、アフリカ南西に位置する街。近くを流れる海流の影響で、近郊の土地は乾燥している。

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1617年ポルトガルによって建設され、奴隷貿易港として栄えた。

参考URL:ベンゲラWiki

Benguela, a Portuguese fort from 1587, was founded in 1617 by the Portuguese under Manuel Cerveira Pereira, 8th Governor of Angola (1604–1607). It was long the centre of an important trade, especially in slaves to Brazil and Cuba. Ships anchor about a mile off the shore, in 4 to 6 fathoms (7 to 11 m) and transfer loads to smaller boats which use five or six jetties in the town. However the nearby deep-water sheltered harbour of Lobito is a much larger port.

ベンゲラ、1587年からポルトガルの砦は、マヌエルCerveiraペレイラ、アンゴラの8知事(1604年から1607年)の下にポルトガル人によって1617年に設立されました。これは、特にブラジルとキューバへの奴隷で、長い間重要な貿易の中心だった。四から六尋(7〜11メートル)と町の5または6桟橋を使用して小さいボートへの転送負荷の沖マイル、約船がアンカー。しかし、ロビト、近くの水深の深い保護された港がはるかに大きいポートです。

参考URL:Benguela Wiki
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by cluracan | 2012-04-02 16:32 | Discovery

【港・集落】 ベンガジ

古代ギリシャ時代に建設された都市が起源。街の名は、街の繁栄に貢献した人物に由来する。

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古代ギリシア時代には植民地キレナイカの中心都市であり、ヘスペリデスと呼ばれ、サハラ砂漠を縦断するアラブ隊商の拠点となるとともに隊商路の起点として繁栄。
それを象徴するように、ベレニケ跡地にプトレマイオス朝、ローマ属州期の石墓が多数残っている。
しかしその後は隊商路の起点が西方のトリポリに移ってしまい、長い間キレナイカ地方の小都市にとどまった。

参考URL:ベンガジWiki
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by cluracan | 2012-04-01 14:33 | Discovery


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