カテゴリ:Discovery( 179 )

【港・集落】 アルジェ

西暦980年に、イスラム勢力によって建設された街。近年、バルバリア海賊に占領され、拠点となった。紡績や鉱業のほか、農業が盛んである。

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紀元前1200年頃にはフェニキアがこの地に植民して交易所を置いていた。
ポエニ戦争後は、ローマ帝国の領土となってイコシウムとよばれた。
5世紀中頃にゲルマン系ヴァンダル族によって一時侵略された。
次に、東ローマ帝国がここを支配した。
650年アラブ人に駆逐された。

950年頃、先住民族ベルベル人のズィール朝によって現在の市街が創建された。彼らによって名付けられた現在のこの町の名前「アルジェ」は、「島」を意味するアル・ジャザーイルというアラビア語に由来する。それから500年間、この町の支配権はヨーロッパ、アラブ、ベルベルの軍人たちが交互に握った。

1510年 スペインが湾の小島の1つペニョン島を占領し、要塞とした。
1518年 このためアルジェを支配していたバルバリア海賊のバルバロス・ハイレディン兄弟はオスマン帝国に対スペイン戦の支援を求め、帝国に帰属することを宣言することでスペイン人を追い出した。オスマン帝国支配時代のアルジェは、オスマン艦隊の拠点となり、ヨーロッパ諸国から海賊海岸として恐れられた。その後300年間にわたって、行政・交易・地中海での海賊活動の中心として栄えた。

参考URL:アルジェWiki

バルバリア海賊
バルバリア海岸と呼ばれた北アフリカのアルジェリア、チュニジア、リビアの沿岸部を根拠地として海賊行為を行ったイスラム教徒の船乗りの総称。
オスマン帝国の保護を受けており、私掠船の一種ともいえる。
活動範囲は広大で、地中海はもとよりインド洋、シナ海、バルト海、大西洋、さらにはアメリカ近海、カリブ海にも進出した。また彼らはイギリスのテムズ川をさかのぼり、各村を襲ったという記録もある。さらに1627年にはアイスランドを襲った。実際には地元人よりも、ギリシャやイタリアなどからやってきてイスラムに改宗し、かつての同胞に海賊を働く冒険者たちが数多く含まれた。その一人バルバロス・ハイレッディンは、1538年、プレヴェザの海戦で、スペインを破った。また、1801年には、通行料の支払いを拒絶したアメリカ合衆国とのトラブルがバーバリ戦争に発展した。なお、英語では"Barbary pirate"と書くため、英語名での読みは、バーバリ海賊となる。

参考URL:海賊Wiki
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by cluracan | 2012-01-13 17:04 | Discovery

【港・集落】 アルギン

エンリケ航海王子により商館が建設された、西アフリカの街。農業が盛んなほか、鉱物資源が豊富なようだ。

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Arguin has long been coveted by seafaring nations for its strategic location, and control over the island has changed hands numerous times. The first European to visit the island was the Portuguese explorer Nuno Tristão in 1443. In 1445, Prince Henry the Navigator set up a trading post on the island, which acquired gum arabic and slaves for Portugal. By 1455, 800 slaves were shipped from Arguin to Portugal every year.
In 1633, during its war against Spain (which then controlled Portugal), the Netherlands seized control of Arguin. It remained under Dutch rule until 1678, although Dutch governance was interrupted by English rule in 1665. France briefly controlled the island in September 1678, but the island was then abandoned until 1685.
Arguin was a colony of Brandenburg-Prussia (until 1701 Electorate of Brandenburg, then Kingdom of Prussia), from 1685 to 1721. France then took control of the island, only to lose it again the following year to the Netherlands. France regained it in 1724. This period of French rule lasted four years, because, in 1728, it reverted to the control of Mauritanian tribal chiefs.

(とりあえず翻訳)
アルギンは長年、戦略地として海洋国に覆われ、島の支配者は何度も変更されてきた。
1443年 ポルトガルの探検家ヌーノ・トリスタンがヨーロッパ人としては最初にこの島を訪れました。
1445年 エンリケ航海王子がポルトガルにアラビアガムと奴隷を送る交易所をこの島に建設しました。
1455年 800人の奴隷が毎年アルギンからポルトガルに船で運ばれるようになりました。
1633年 ポルトガル支配時代にスペインと戦争中にオランダはアルギンの支配を得た。
1678年 1665年に英国支配の中断があったが、オランダの統治は1678年まで続いた。
1678年9月 フランスは簡単にアルギン島を支配したが、1685年まで島は放棄された。
1685年~1721年  アルギンは、ブランデンブルク·プロイセンの植民地(1701年ブランデンブルク選挙まで、その後プロイセン王国)であった。
オランダに翌年負けた1度敗れたがフランスが支配した。
1724年 フランスが再び取り返す。
1728年 フランスの支配が4年続いたが、モーリタニア族長の支配になった。

参考URL:Arguin Wiki
スタンプ・メイツ ヌーノ・トリスタン
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by cluracan | 2012-01-12 16:31 | Discovery

【港・集落】 アムステルダム

ネーデルランド北部七州の中でも、海運で特に栄えている都市。かつてはイスパニアの支配下にあったが、圧政に反発して独立した。各種産業が発展しており、特に紡績と製鉄が盛ん。

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13世紀 アムステルダムは漁村として築かれた。伝説によれば、犬を連れて小さなボートに乗った2人の猟師が、アムステル川の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(アムステルのダム:Dam in the Amstel)というのが街の名前の由来。
1300年(または1301年) 自由都市となった。
14世紀 ハンザ同盟との貿易により発展した。
16世紀 当時ネーデルラント17州を支配していたスペイン王フェリペ2世やその後継者に対する反乱が起こり、八十年戦争へ発展した。独立を獲得したオランダ共和国はその宗教的寛容さで知られ、スペインやポルトガルからユダヤ人が、アントウェルペンから豪商が、フランスからユグノーが安住の地を求めてアムステルダムにやって来た。フランドルからの豊かで洗練された移住者はオランダ語の基礎を作り、オランダの商業的発展の礎を築いた。
17世紀 17世紀初頭 アムステルダムは世界で最も裕福な都市であった。アムステルダムの港を発する商船は、北アメリカ大陸やアフリカ大陸を始め、インドネシアやブラジルまで含めた広大なネットワークを築いていた。アムステルダムの貿易商はオランダ東インド会社やオランダ西インド会社の主要な地位を占めていた。これらの特許会社は後世のオランダ植民地を形成する海外権益の基礎となった。アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であり、世界を牽引するファイナンシャル・センターであった。アムステルダム証券取引所は世界初の常設取引所でもあった。

参考URL:アムステルダムWiki
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by cluracan | 2012-01-12 16:16 | Discovery

【港・集落】 アビジャン 

象牙海岸沿岸の港。周辺地域の産物が集まり栄えている。ヤシや木材のほか、象牙が産物として扱われている。

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元々この地はエブリエ族のビジャン部の村であった。

参考URL:アビジャンWiki
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by cluracan | 2012-01-12 15:58 | Discovery

【港・集落】 アデン

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アラビア半島の南端にある、歴史ある良港。中国・インドとイスラム・ヨーロッパ諸国の重要な交易中継点。乳香をはじめとする何種類もの香料や、コーヒーなどが産物。

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古くから欧州とインドを結ぶ通商の要衝として注目され、15世紀には明の鄭和が寄航している(「阿丹」と記されている)。
16世紀にポルトガルとオスマン帝国がここを支配していた。
アデン港は、バスコ・ダ・ガマが喜望峰経由の航路を発見するまでは陸路の中心地であり繁栄を極めた。

参考URL:アデンWiki
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by cluracan | 2012-01-12 15:44 | Discovery

【港・集落】 アテネ

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古代ギリシャ時代から続く、長い歴史を誇る街。アクロポリスの丘にはパルテノン神殿がそびえ、かつては高さ10mのアテナ像があったという。特産品はオリーブのほか、良質の大理石も産する。

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紀元前8世紀頃 - エーゲ文明消滅後、古代ギリシア人の一派イオニア人が定住し、ポリス(都市国家)が形成される。
紀元前7世紀頃 - 民主政が成立。
紀元前561年 - ペイシストラトスが僭主となる。
紀元前510年 - ペイシストラトスの子、僭主ヒッピアスが追放される。
紀元前490年 - マラトンの戦いでアテナイを主力とするギリシア重装歩兵軍団がペルシア軍を破る。
紀元前480年 - サラミスの海戦でテミストクレス将軍の指揮によりペルシア海軍撃破。
紀元前479年 - プラタイアの戦いでアケメネス朝ペルシアの勢力を完全に撃退。
紀元前477年 - ペルシア再侵攻に備えデロス同盟結成。
紀元前461年 - 指導者ペリクレス将軍の下で古代都市としての全盛期を迎える。
この頃アテネがデロス同盟の資金を流用。
紀元前431年 - ペロポネソス戦争が勃発。スパルタに破れる。
この時期からアテネは衆愚政治に陥る。
紀元前338年 - カイロネイアの戦いでマケドニア王国に敗れ、独立を失う。コリントス同盟(ヘラス連盟)成立。アテネ加盟
紀元前168年 - ローマ軍がギリシャに侵入し、ローマ支配が始まる。
395年 - ローマ帝国分裂、東ローマ帝国領になる。
1456年 - 東ローマ帝国の残存勢力が滅ぼされ、オスマン帝国領となる。

参考URL:アテネWiki
      アテナイWiki
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by cluracan | 2012-01-11 15:06 | Discovery

【港・集落】 アチン

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スマトラ島の北端に位置する街。マジャパヒト王国より独立した、アチェ王国の首都である。

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バンダ・アチェ(インドネシア語:Kota Banda Aceh)のこと。バンダはペルシャ語のバンダール(Bandar)、港に由来する。
インド洋に面するアチェは東南アジアで最も早くイスラームを受容した地域である(サムドラ・パサイ王国)。15世紀末にマジャパヒト王国から独立したアチェ王国はスマトラの胡椒貿易を独占し、オスマン帝国と結んで、ポルトガルの要塞となったマラッカをしばしば攻撃した。スルタン・イスカンダル・ムダ(在位:1607年 - 1636年)の時代に最盛期を迎えたが、その後4人の女王が続いて衰え、アラブ系、ブギス系の王を擁立した。

参考URL:アチェWiki
       アチェ王国Wiki
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by cluracan | 2012-01-11 14:39 | Discovery

【港・集落】 アゾレス

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大西洋の中央に位置する火山島の街。15世紀前半、ポルトガルによって発見されて以来、ヨーロッパ列強各国からの移住者が、多くいる。新大陸への遠洋航海における足がかりとなっている。
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リスボンのほぼ西1500Km、9個の島からなる諸島。火山による起源。
1427年、ポルトガル人ディエゴ・デ・シルベスによって発見された。
マルティン・ベハイムによれば、1431年にエンリケ航海王子の配下の船長のひとりによって発見されたという。その地理上の位置から、新大陸への重要な航海基地となった。
1439年以降植民地化が進むが、初期はポルトガルからの移住者を中心とするものの、各国から移住者があった。
1583年、スペイン王フェリペ2世がポルトガル王としてフランス人商人を排除するためにアゾレス諸島に船団を派遣した。アゾレス諸島は、ポルトガル領の中で最後までハプスブルク朝のスペイン王フェリペ2世のポルトガル支配に抵抗した土地となった。

参考URL:アゾレス諸島Wiki
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by cluracan | 2012-01-11 14:16 | Discovery

【港・集落】 アカプルコ 

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太平洋に面した、山脈のふもとの街。一年を通して気温が高い、常夏の気候である。銀を用いた交易が盛んなためヨーロッパへ向かう輸送船の往来が跡を絶たない。

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8世紀以前 オルメカ人が居住
11世紀 アステカ人の祖先となるナワトル人やコイサス人が移住
1486年 アステカ帝国の一部となる
16世紀 スペインの領土になる
16~18世紀 マニラと交易を行うマニラガレオン(アカプルコガレオン)や中国と交易を行う貿易が盛んになり、ヴェラクルスと並ぶスペインの重要拠点となる。

参考URL:アカプルコWiki

マニラ・ガレオンWiki
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by cluracan | 2012-01-10 14:42 | Discovery


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