2012年 04月 19日 ( 1 )

【港・集落】 ヤーディン

メコン川流域に建設された街。長くチェンラ王国の支配を受けてきた。川の上流にはチェンラ王国の古都があるといわれている。

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ホーチミンのこと。

プレイノコールに北方からのベトナム人移民が定住するようになると、サイゴンという名前で知られるようになった。ベトナム語のサイゴンという名前の由来には様々な議論があるが、その語源は次のように分析されている。 フランス人によって植民地化されるまでは、サイゴンのベトナム語での名前はザーディン(嘉定)だった。1862年、フランス人はこの公式な名前を捨て、Sài Gònという呼称が一般的になっていたので、「サイゴン」と呼ぶことにした。

ホーチミン市はプレイノコールとして知られる小さな漁村として出発した。今では市街地が広がっている一帯は、もともとは沼地であり、ベトナム人が入ってくる何世紀も前からクメール人が住んでいた。
1623年、カンボジアのチェイ・チェッタ2世王(在位1618年-1628年)は、ベトナムの Trinh-Nguyen 内戦から逃げ出したベトナム人難民にプレイノコール一帯で定住してその風習に沿った住居を建築することを許可した。ベトナム人定住者がみるみるうちに増えてゆくのを、タイランドとの戦争により弱体化したカンボジア王国は妨げることができず、この一帯はゆっくりとベトナム化していった。やがて、プレイノコールはサイゴンとして知られるようになった。
1698年、ベトナム人貴族である阮有鏡(グエン・フー・カイン)が、この一帯にベトナム人による統治機構を構築し、この一帯に干渉するほどの勢力を失ったカンボジアからこれを引き離すため、フエの阮氏の頭領によって送り込まれた。彼は大規模な定住によりサイゴンの拡大をもたらした人物としてしばしば賞賛されている。嘉定城と呼ばれた巨大なヴォーバン式星形要塞が築城されたが、これは後に Chi Hoa の戦いにおいてフランス人が破壊した。
1859年にフランスによって占領され、
1862年のサイゴン条約で阮朝はフランスによるコーチシナ東部の支配を認めた。その際にサイゴンは開港し、
1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速に発展した。ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けた。そのことが、この街に数多くの古典的西洋風の建築に表れている。そのため、サイゴンは「極東の真珠」 (Hòn ngọc Viễn Đông) とか、「東洋のパリ」 (Paris Phương Đông) と呼ばれることも多い。

参考URL:ホーチミン市Wiki
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by cluracan | 2012-04-19 21:58 | Discovery


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