2012年 04月 18日 ( 1 )

【港・集落】 モンペリエ

マルセイユ近郊の小都市。古くから大学があり、特に医学の研究が盛んである。ノストラダムスもモンペリエ大学で医学を修めた。

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985年にMelgueil (Mauguio) の伯爵の記録に初めてMontpellierの表記が表れる。近隣のニーム、ナルボンヌ、ベジエなどがローマ時代から都市として成立していたのに対し、モンペリエの領地としての登場は遅い。中世初期には領主Guilhemとマグローヌ (Maguelone) の司教のもとで人口を増やした。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の宿場町としても栄えた。
1220年に成立した医学校は、1289年に法学部とともにモンペリエ大学として教皇ニコラウス4世の承認を受ける。医学部は現在もカテドラル (Cathédrale Saint-Pierre de Montpellier) に隣接した校舎を使用している。
婚姻などによりアラゴン王、マヨルカ王などの支配下に入った後、1349年にフランス王国に売却、併合された。このころはかなり繁栄していたが、疫病により一旦衰退の時期を迎える。15世紀に入ると天才商人ジャック・クールが、隣接するラット (Lattes) の港を活用したため、貿易拠点として隆盛を極める。
16世紀にはユグノー戦争の戦乱の中、プロテスタントが多数を占め、カトリックの教会はカテドラル以外のほとんどが破壊された。その後アンリ4世のナントの勅令によりつかの間の平和を享受したものの、ルイ13世の治世以降は、プロテスタントは衰え、カトリック勢力が支配的となった。フランス革命までの平穏な時期に、水道橋、凱旋門、コメディー広場などが建設されていった。

参考URL:モンペリエWiki
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by cluracan | 2012-04-18 22:58 | Discovery


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