2012年 03月 22日 ( 5 )

【港・集落】 ファロ

リスボンの南に位置する、小都市。レコンキスタのとき、ポルトガル国内で最後までイスラム勢力が残っていた都市である。13世紀にポルトガル王がこの街を占拠し、レコンキスタは完了した。

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フォルモーザ潟が新石器時代から先史時代後半まで人類の定住をひきつけてきた。
ローマ帝国時代に占領され重要な都市に成長した定住地オソノーバ(Ossonoba)は、歴史家によれば現在のファロの前身だという。
3世紀以降の西ゴート王国時代、ここにはキリスト教の司教座が置かれていた。
8世紀のムーア人支配の到来で、オソノーバはイベリア半島南西端における最重要の町としての地位を保持した。
9世紀、短期間だがイスラムの太守国の首都となり、防御用の壁で町が囲まれた。この時点で、サンタ・マリーアという名がオソノーバの代わりに使われ始めた。後に町はハルーン(Harun、地元イスラム教徒の首領にちなむ)として知られるようになり、現在のファロの名となった。
500年間のイスラム教徒支配の間、ファロのユダヤ人住民の一部が旧約聖書の複写を書いた。ファロの歴史的な名前の一つはアラビア語でأخشونبةであった。イスラム勢力は1272年、ポルトガル王アフォンソ3世軍によって敗退させられた。シルヴェスの都市としての重要性が衰えると、ファロがアルガルヴェ一帯の行政の役割を担った。
1596年、エセックス伯ロバート・デヴァルーがファロの町を略奪し、ファロ司教の図書館を奪った。この時奪われた書物は後にオックスフォード大学へ寄贈され、バドリアン図書館の一部となった。
1577年、ラゴスがアルガルヴェの中心地となり、1756年までその地位にあった。その1年前の1755年に、リスボン地震によってラゴスの町の大半が破壊された。地震はアルガルヴェの数カ所に被害を与え、津波が海抜の低い場所にあった沿岸の要塞群を取り壊し、家々を倒壊させた。フォルモサ潟の砂岸で守られていたファロを除くアルガルヴェ沿岸の町村ほぼ全てが、ひどい被害を受けた。この時から、ファロはアルガルヴェの行政中心地となって今に至っている。

参考URL:ファロWiki
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by cluracan | 2012-03-22 16:12 | Discovery

【港・集落】 ファマガスタ

地中海東部、キプロス島東岸に位置する街である。シェークスピアの悲劇「オセロー」の舞台だといわれる。温暖な地中海性気候で農業が盛ん。銅鉱山もある。

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ファマグスタ (Famagusta)は、キプロス東部・ファマグスタ地方の主要都市である。ギリシア語ではアモホストス(Αμμόχωστος)、トルコ語ではガーズィマーウサ(Gazimağusa)と呼ばれる。湾の中央部にあり、キプロスで最も水深のある港がある。
古代にはエジプトのプトレマイオス朝の女王にちなみアルシノエと呼ばれていたが、「砂に隠された」という意味のアンモコストスと呼ばれるようになった。この名前が西ヨーロッパでは「ファマグスタ」に変化し、トルコ語で「マウサ」(Mağusa)に変化した。

紀元前300年、アルシノエという漁村であった。のち、サラミス撤退により小さな港町となった。
1192年、島の支配がフランスのリュジニャン家に移ったことが大きな転換点となる。東地中海で天然の良港を持ち、町を守る城壁を擁し、中東と西ヨーロッパの中継点として栄え、人口が増えた。
1291年アッコン陥落ののち、オリエントのキリスト教国で最も裕福な都市の一つとなった。
1372年にジェノヴァ共和国が、
1489年にヴェネツィア共和国がその富を狙い港を襲撃している。裕福な商人たちはそろって教会を寄進して建て、これらは今も残り、ファマグスタが教会地区と知られる所以となった。
1570年から1571年にかけ、ファマグスタはオスマン軍による13ヶ月の包囲と恐ろしい砲撃に耐えた。陥落後、町はオスマン帝国の一都市として変貌し、唯一残った大聖堂はモスクにされた(ラーラ・ムスタファ・パシャ・モスク)。

参考URL:ファマグスタWiki
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by cluracan | 2012-03-22 16:01 | Discovery

【港・集落】 ピンジャラ

オーストラリアの南西端にほど近い街。街の名前は付近の低湿地帯を指す先住民の言葉が訛ったものである。
南西オーストラリアの内陸部には、埋蔵量が豊富な鉄鉱石や金の鉱山が存在するため、それらの積み出し港として注目を集めている。

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The name was often shown spelt "Pinjarrup" on early maps, while the accepted spelling for many years was "Pinjarrah".
There are conflicting theories regarding the meaning of the name, and it is usually said to mean "place of a swamp", as a corruption of the Aboriginal word "beenjarrup".
However, Pinjarra is more likely to have been named after the Pindjarup people who frequented the area.
One of the first settlers in the area was Thomas Peel, who established a settlement at the mouth of the Murray River in 1830.
In 1831, land was reserved for a townsite near a ford over the river. By 1834, word had spread about the rich loamy soils and pastures, bringing more Europeans to the area.
Surveys were carried out in 1836 and land allocated to settlers in 1837.

(機械翻訳)
長年のスペルが容認は "Pinjarrah"であった間に名前が頻繁に、早期に地図上にスペルト小麦"Pinjarrup"に示された。
そこに名前の意味については相反する理論があり、それは通常、アボリジニの言葉"beenjarrup"の腐敗として、 "沼の場所"を意味すると言われています。
しかし、ピンジャラ、領域を頻繁にPindjarupの人々にちなんで命名されている可能性が高くなります。
領域の最初の入植者の一つは、1830年にマレー川の河口に定住し、トーマスピールでした。
1831年に、土地は川の浅瀬の近くにニュータウン建設用地のために予約された。 1834年では、言葉が地域に多くのヨーロッパをもたらし、豊かなローム質の土壌と牧草地について広がっていた。
調査は1836年と1837年に入植者に割り当てられた土地で行った。

参考URL:Pinjarra Wiki
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by cluracan | 2012-03-22 15:29 | Discovery

【港・集落】 ヒホン

ボルドーの西、ビスケー湾南岸にある小都市である。発祥は古代ローマ軍の軍営地だという。

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大西洋のビスケー湾にのぞむ港湾都市。鉄鉱石、石炭などを近隣で産出するため、製鉄業が発展している。

ヒホンでは先史時代の墳丘やドルメンの遺跡が見つかっている。
近年相次いで発見されたドルメンは紀元前5千年紀にさかのぼる。
紀元前6世紀からアストゥル人が定住した。
紀元前1世紀にはローマの支配下に入り、半島部(シマデビラ)に街が作られた。
ローマ時代から西ゴート時代には「ジジャ」(Gigia)という名前で呼ばれた。
713年ごろにイスラム勢力に征服されたのち、アストゥリアスはヒホン駐在のヌムーザによって支配された。
718年ごろ、伝説的な王ペラヨはコバトンガの戦いでヌムーザをやぶった。これ以降、ヒホンはアストゥリアス王国、レオン王国、カスティーリャ王国の領土となった。

参考URL:ヒホンWiki

ドルメン
支石墓(しせきぼ)は、ドルメンともいい、新石器時代から初期金属器時代にかけて、世界各地で見られる巨石墓の一種である。基礎となる支石を数個、埋葬地を囲うように並べ、その上に巨大な天井石を載せる形態をとる。

参考URL:支石墓Wiki
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by cluracan | 2012-03-22 15:17 | Discovery

【港・集落】 ヒバオア

マルキーズ諸島南部にあるヒバオア島の街。独特の山並みが特徴の火山島である。熱帯圏でありながら、冷涼な南赤道海流の影響を受け、年間を通じて温暖快適な機構である。

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Hiva Oa is the second largest island in the Marquesas Islands, in French Polynesia, an overseas territory of France in the Pacific Ocean. It is the largest island of the Southern Marquesas group. According to local religion, the gods created the islands as their home. Therefore all islands have names that are related with the building of a house. Hiva Oa means long ridgepole.

(機械翻訳)
ヒバオア島はフランス領ポリネシア、南太平洋のフランス海外領土のマルケサス諸島で二番目に大きな島です。それは南部のマルケサス諸島グループの最大の島です。地元の宗教によると、神々は彼らの家の島を作成しました。したがって、すべての島々は、家の建物と関連している名前を持っています。ヒバオア島は、長い合掌を意味します。

参考URL:Hiva Oa Wiki

The island groups that make up French Polynesia were not officially united until the establishment of the French protectorate in 1889.
The first of these islands to be settled by indigenous Polynesians were the Marquesas Islands in AD 300 and the Society Islands in AD 800.
The Polynesians were organized in loose chieftainships.
European communication began in 1521 when the Portuguese explorer Ferdinand Magellan sighted Pukapuka in the Tuāmotu-Gambier Archipelago.
Dutchman Jakob Roggeveen came across Bora Bora in the Society Islands in 1722, and the British explorer Samuel Wallis visited Tahiti in 1767.
The French explorer Louis Antoine de Bougainville visited Tahiti in 1768, while the British explorer James Cook visited in 1769.
Christian missions began with Spanish priests who stayed in Tahiti for a year from 1774; Protestants from the London Missionary Society settled permanently in Polynesia in 1797.

(とりあえず翻訳)
フランス領ポリネシアを構成する島のグループは正式に1889年にフランスの保護国の確立されるまで団結していませんでした。
300年 800年 先住民ポリネシア人によって移民された、これらの島々の最初は、AD300のマルケサス諸島とAD800のソシエテ諸島であった。
ポリネシア人は緩いchieftainshipsで編成されました。
1521年 ポルトガルの探検家フェルディナンド·マゼランは、ツアモツ諸島、ガンビア諸島のプカプカ島を視認したときに、欧州の通信は、1521年に始まった。
1722年 1767年 オランダ人ヤコブRoggeveenは、1722年にソシエテ諸島のボラボラ島に出くわした、とイギリスの探検家サミュエル·ウォリスは1767年にタヒチを訪問しました。
イギリスの探検家ジェームス·クックが1769年に訪問しながら、フランスの探検家ルイ·アントワーヌ·ド·ブーゲンビルは、1768年にタヒチを訪問しました。
キリスト教のミッションは1774年から年間タヒチに滞在したスペインの司祭から始まった、ロンドン宣教師協会からプロテスタントが1797年にポリネシアに恒久的に定住した。

参考URL:French Polynesia Wiki

ハワイキ
ポリネシア人たちは自らの故地を「ハワイキ」「アヴァイキ」などと呼んだ。
この言葉はポリネシア各地で若干異なっており、タヒチでは「ハヴァイイ」、ツアモツ諸島などでは「ハヴァイキ」、クック諸島では「アヴァイキ」、サモアでは「サヴァイイ」、アオテアロアでは「ハワイキ」、ハワイ諸島では「ハワイイ」などとなっている。

参考URL:ポリネシアWiki
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by cluracan | 2012-03-22 14:59 | Discovery


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