【港・集落】 オクスフォード

ロンドンの北西に位置する学問都市。
羊毛の集散地として栄えていたが、8世紀に女子修道院が創立された。12世紀には学者たちが集まり出し、学問の都として発展した。

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オックスフォードはサクソン時代に人が居住しはじめ、最初は古英語でオクサンフォルダ(Oxanforda)として知られた。oxanforda とは雄牛(oxen)が渡ることのできる浅瀬(ford)の意味である(イギリスに多くある地名の「~フォード」は、浅瀬・渡場の ford に起源がある。ドイツ語地名の「~フルト」(furt)に対応する)。8世紀に聖フリデスウィデ(Frideswide)の女子修道院の創設と共に都市としての歴史が始まる。最初の文書記録としては『アングロサクソン年代記』の912年の記述で言及されている。10世紀になるとオックスフォードは、マーシア王国とウェセックス王国の間の軍事上の拠点として重要な意味を持つようになり、数度にわたりデーン人の侵攻を受けた。
オックスフォード大学は、12世紀の記録で初めて言及されている。オックスフォードの最古のカレッジ(学寮)は、ユニバーシティ・カレッジ、ベイリョール・カレッジ(1263年)、そしてマートン・カレッジ(1264年)である。
オックスフォードのクライスト・チャーチ大聖堂(Christ Church Cathedral)は、一つの教会が大学の聖堂と司教座聖堂を兼ねているという、世界でも例を見ないユニークな聖堂である。もともと聖フリデスウィデの修道院聖堂であったが、建物が拡張され、カーディナルズ・カレッジの一部に組み込まれた。その後、1546年にクライスト・チャーチ大聖堂として再び独立した建造物となった。以降、現代に至るまでオックスフォード教区の司教座聖堂となっている。
「タウン(町)とガウン(学生)」の間の関係はしばしば悪化することがあった。たとえば1355年の「聖スコラスティカの日の暴動」といわれる事件では、数人の学生が市民の手で殺害されている。
清教徒革命(1642年 - 1649年)の間、オックスフォードはロンドンを追放されたチャールズ1世の宮廷を迎えていた。オックスフォードの町には議会派への強い支持が存在したが、王の宮廷は維持された。町は1646年にフェアファックス将軍指揮下の議会派勢力に屈した。
1790年には、オックスフォード運河が市をコヴェントリーに結び、テムズ川へと連結させた。1840年代には「大西部鉄道」(Great Western Railway)と「ロンドン及び北西部鉄道」(London and North Western Railway)が、オックスフォードとロンドンを繋いだ。

参考URL:オックスフォード Wiki
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by cluracan | 2012-05-21 15:37 | Discovery


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