【港・集落】 泉州

読み方は、「チュワンチョウ」。かつて海上貿易の拠点として繁栄した街。
晋末に中原から多くの移民が流入したため、中原の技術や文化が伝わっている。

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秦代より開発が行われた泉州に本格的な行政区が設定されたのは260年(永安3年)に呉により東安県が設置されたのが始まりである。
梁の天監年間(502年-519年)には南安郡の郡治が設置された。西晋末に発生した中原地区の戦乱により中原より移民が多く流入し、中原の先進的な技術や文化をこの地に伝えている。
唐代に州制が施行されると700年(久視元年)に武栄州が設置され、
711年(景雲2年)に泉州と改称され現在までこの名称が使用されている。
南宋から元朝にかけては港湾都市として発展し、ベトナムやインド、アラビア半島にまで及ぶ海上交易ルートが確立し、「陶磁の道(海のシルクロード)」の拠点とし漢人のほかにもアラブ人などが居住する国際都市として発展した。
『アラビアンナイト』にも「船乗りシンドバッド」の住む舞台として登場する事からも中世イスラム世界にも知られた都市であったことが推察され、またマルコ・ポーロの『東方見聞録』には「ザイトン(「刺桐」の閩南音」の名称で紹介されている。
明には海岸線の後退に伴い港湾都市としての機能が失われ、海上交易の中心地は廈門などに移行していった。
一方で、この頃より、当時南洋と呼ばれた東南アジアのフィリピン、インドネシア、マレーシアへ労働者として赴き、華僑、華人となった人も多くでた。現地では、南安、恵安、永春、晋江など、出身地ごとに同郷コミュニティーを作り、会館を建てて、経済的や人的サポートを行った。中には、ゴムのプランテーション、食品加工、新聞発行などで、財をなした者もいた。

参考URL:泉州市Wiki
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by cluracan | 2012-05-17 18:09 | Discovery


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