【港・集落】 漢陽

読みは「ハンヤン」。「漢水より北の大地」という意味がある。百済時代の都があったため歴史は古く、遺物が多く発見される。

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漢陽・漢城
「漢陽(ハニャン)」は新羅の時代から使われた名称で、「陽」が川の北側を意味することがあって、「漢水(漢江)の北側の土地」の意味でつけられた地名だったが、高麗初期に楊州と改められた。
高麗文宗代に南京となり留守が置かれる。忠烈王代の1308年に「漢陽(府)」の名称に復帰するが、李氏朝鮮建国後の1395年「漢城(ハンソン)」に改称された。李朝の王都になったため、京都の意味を持っているソウルと呼ばれた。ゆえに漢陽などは訓の当て字になってそれらをソウルと読んでいたが、現代朝鮮語では漢字の音読以外はほとんどハングルだけで表記することになって、中国、台湾などの中国語圏では、「ソウル」に相当する漢字表記がなかったこともあり、長らくソウルのことを(旧名で)漢城と呼び、仁川国際空港近辺などの韓国の道路交通標識にもハングルと併記で「漢城」と表記されていた。新表記の「首爾(ショウアル)」(後述)が制定されたことに伴い、徐々に状況は変化している。

古くは百済の都・漢城が置かれており、隣接する河南市にある遺跡からは多くの遺物が出土している。
西暦475年高句麗軍によって陥落すると、百済は熊津(公州)に遷都し、統一新羅時代には漢山州と呼ばれ、
757年には漢州の漢陽郡に改められた(中原京が小京として漢州の下に設けられた)。高麗時代には市域の北部は楊州、南部は広州と呼ばれ、
1067年には三小京のひとつである南京が置かれた。
1392年高麗の将軍・李成桂が威化島回軍によって政権を奪取し、
1394年には開京(現・開城)から漢陽遷都を決行した。翌1395年に漢陽府は漢城府に改称され、これ以後、漢城(ソウル)は500年に渡って李氏朝鮮の都となる。
李朝末期の時点では市内が5部49坊に細分化されていた。

参考URL:ソウル特別市Wiki

李舜臣Wiki
豊臣秀吉が朝鮮を攻めた際に朝鮮水軍を率いて日本軍と戦った李氏朝鮮の英雄。
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by cluracan | 2012-05-17 17:01 | Discovery


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