【港・集落】 ロンドン

古代ローマ人が築いた砦・ロンディニウムがもとになった街。11世紀ごろから栄え、今ではイングランドの中心地である。羊毛が豊富に取引されるほか、周辺の街の鉱物資源を背景に精錬技術の進歩が目覚ましい。

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起源
ロンドンの起源はローマ帝国によるブリタニア支配にまで遡る。ローマ人は後のイングランドにあたるブリテン島南東部を征服し、西暦43年にはテムズ川北岸、現在のシティ・オブ・ロンドン (シティ) にあたる場所にロンディニウムを建設し、ここをブリタニアの首都とした。街を建設したのはローマ人だが、それ以前にこの地域周辺にはケルト人が居住しており、ローマによる初期の植民の跡が残されている。61年には女王ブーディカに率いられたケルト族がロンディニウムを襲撃し、ローマ人から都市を奪還した。現在のシティにある遺跡からはこの争いによるものと見られる焼け焦げた木材などが出土している。ケルト族の集落はケルト語で「川のあるところ」を意味するリンディン (Llyn-din) と名づけられ、後にロンディニウム (Londinium) と呼ばれるようになった。
その後2世紀頃には防衛のため、ローマ人がテムズ川岸を除く街の三方に市街壁を巡らした。およそ4万人の人口を擁していたシティを中心として、市内はローマとブリタニアの交易で活況を呈し、現在のウェストミンスタ8ー地区にあたる地域も独立した集落が形成されており、現在のフリート・ストリート及びストランド・ストリートによって結ばれていた。しかし4世紀からは衰退し、5世紀初頭にはローマ人は撤退。代わってアングロ・サクソン人がこの地方を征服した。初代のセント・ポール大聖堂は、サクソン人の司教が604年に建設したとされる。9世紀後半、アルフレッド大王がこの地をウェセックスの首都とする。その後、イギリス史は空白期間が続く。

中世
11世紀半ば頃、ウェセックス最後の王となったエドワード懺悔王はウェストミンスターに大修道院のウェストミンスター寺院と王宮のウェストミンスター宮殿を建設した。1066年にイングランドを征服したノルマンディ公ギヨーム2世は、ウェストミンスター寺院でイングランド王ウィリアム1世として即位し、ウェストミンスター宮殿を住まいとした。以後、ウェストミンスター宮殿を中心とするシティ・オブ・ウェストミンスターは政治及び宗教の中心地となる。一方、シティはこの頃すでに自治機能を有する商業都市に発展していた。ウィリアム1世はホワイト・タワー (後のロンドン塔) を始めとする要塞をシティの東西に建設し、王権及びシティの結合を強め、ロンドンが首都として見なされ始めた。しかし経済力のあるシティは、12~13世紀に市長を選出する権利や独自の法廷を持つ権利を獲得、14世紀半ばからは市参事会を選出し、王権から独立した高度な自治都市として独立を保持した。

急成長期
16世紀、ヘンリー8世統治下で宗教改革が進展する中、修道院解散に伴いシティ内外で没収地の開発が進んだ。これにより更に多くの人口が収容可能になったロンドンは、当時の経済発展に伴い急速に成長した。シティ及びウェストミンスター間には市街地が成長して両者の街は一続きになり、17世紀半ばには人口50万以上、更に半世紀後には人口70万以上に膨れ上がっている。
1566年、エリザベス1世が王立取引所を開設するとシティの重要性は急速に増大する。街の発展に伴い貧困層が流入し、これが王権への抵抗勢力になることを恐れた女王は1580年に市門の外3マイル以内に新規建造物の着工を禁じる布告を出した。しかし、町の拡大を法令で阻止することが不可能であることはやがて明らかとなる。
1665年のペストの大流行では10万人近くの人が死亡したとされる。翌年1666年、シティのパン屋から出火した火の手が市壁に囲まれた地の5分の4にまで広がるロンドン大火が発生した。火災の規模を拡大させた理由として、当時ロンドンの大部分の建造物が木造だったこと及び道路の幅が狭過ぎたことで隣接する建造物からのもらい火により火の手を広めたことが挙げられる。
ロンドン大火により更地となったロンドン中心部をかつての雑然とした町から、パリのような壮大な都市に生まれ変わらせる好機としてクリストファー・レンは都市計画を構想した。しかし、この構想は都市整備により土地を失うことを恐れた地主達が利己的に建造物を建設したことにより計画倒れに終わる。だが、クリストファー・レンは更なる大火発生の防止を目的とした法制度整備に努めた。その結果、1667年の再建法では新築建造物の建材には石と煉瓦のみを使用するよう定められた。
再建されたシティはかつての木造建築物が雑然と密集した町並みとは全く異なるものとなり、市街中心部は石造に一新して不燃化され、民間投資によって標準化された住居建築群が建造され、道路も拡幅した。18世紀にはセント・ジェームズ・パークからリージェンツ・パークに至る大通りが敷かれ、街路沿いにピクチャレスクな建物が整然と並ぶ景観が形成された。更に1760年代には中世からの市壁と門も取り壊されている。

参考URL:ロンドンWiki
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by cluracan | 2012-05-08 22:58 | Discovery


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