【港・集落】 リスボン

フェニキア人によって築かれた、古い街。イスラム勢力に支配された時期に大きく発展して、重要な港として栄えるようになった。西ヨーロッパでもっとも美しい街だとされる。良質の陶磁器が製造されている。

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リスボンは古代からフェニキア人(カルタゴ人)などにより港として利用されてきた。当時はフェニキア語でアリス・ウボと呼ばれた。紀元前のギリシア人の集落跡が出土している。大プリニウスは『博物誌』でリスボンの創健者をオデュッセウスであるとしている。
紀元前205年にローマの支配下に入り、オリピソの名で知られる。
紀元前48年にはガイウス・ユリウス・カエサルによりローマ都市の資格を与えられ、フェリキタス・ユリアと改名。属州ルシタニアの首都となった。
719年にイスラム教徒であるムーア人に占領される。
以後1147年に最初のポルトガル国王アフォンソ1世がイスラム教徒より支配権を奪うまでイスラム教徒に支配された(リスボン攻防戦)。
1260年には、アフォンソ3世がコインブラから遷都し、ポルトガル王国の首都となった。
12世紀にはパドヴァのアントニオがリスボンから出た。この修道士がしばしばリスボンのアントニオとも呼ばれるのはこのためである。パドヴァのアントニオはポルトガルの守護聖人のひとりとみなされている。
15世紀はじめには大航海時代の幕開けとともに、世界貿易の中心都市となって35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となった。
しかし1531年にはリスボン地震で被害を受け、
また1569年にはペストにより6万人の死者を出した。
1755年、リスボン大地震で市民の3分の2にあたる約6万人の死亡者を出した(地震の被害者総計は約9万人から10万人といわれる)。市内は津波と火災により多くの家屋も損傷し、リスボン市のみならずポルトガルの国内経済にも影響を与える甚大な被害を受けた。市内はのちにポンバル侯爵の設計で再建された計画都市となった。

参考URL:リスボンWiki
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by cluracan | 2012-04-23 20:33 | Discovery


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