【港・集落】 リオデジャネイロ

16世紀初頭、探検家ガスパール・デ・レモスによって発見され、大きな湾を河口と間違えて「一月の川」を意味する「リオデジャネイロ」と名づけられた。

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1502年1月にポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモスたちがグアナバラ湾の湾口であるこの地に到達。グアナバラ湾は湾口が狭まっているため大きな川であると誤認し、発見した月に因みポルトガル語で「一月の川」と命名した。ポルトガル人たちは海岸に壁を白く塗った家を建てて住んだ。先住民のトゥピ族は彼ら白人を「カリ・オカ」(トゥピー・グゥアラニー語で白い家の意味)と呼んだ。それが現代語のカリオカの起源である。
1555年にフランスの植民地開拓者が南極フランス居留地をつくったが
1567年にこれをポルトガル人は追い出し、18世紀までここに小さなコミュニティをつくっていた。町の名は川(実は湾)の名の転用である。
17世紀までのリオは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町にすぎなかった。
しかし18世紀前半に内陸のミナスジェライス州周辺で金鉱が発見された。この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテスたちの基地であるサンパウロであったが、
1725年にリオとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオがサンパウロに代わってミナスの金やダイアモンドの積出港となり、ブラジル植民地の交通と富の中心となった。このためそれまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、
1763年にはブラジル総督がサルヴァドール・ダ・バイーアからリオにうつされブラジル植民地首府となった。
1808年に半島戦争の勃発により、リスボンのポルトガル宮廷はナポレオン軍を逃れてリオに移転した。
翌1809年、リオがポルトガル・ブラジル連合王国の首都となる。これによりリオは人口も増加し、また高い文化を持った移住者たちによって文化も進歩した。
1821年には王の帰還と共に首都もリスボンに再遷都されたが、ポルトガルがブラジルの統治に軍を送り込んだためブラジル側の憤激を買い、独立派はリオに残っていた王太子ドン・ペドロを擁立して
1822年にブラジル帝国の独立を宣言し、リオはブラジル帝国の首都となった。

参考URL:リオデジャネイロWiki
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by cluracan | 2012-04-22 14:48 | Discovery


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