【港・集落】 ペルナンブコ

南米大陸の東部沿岸に位置する港町。大西洋交易の拠点として発展してきた。

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パウ・ブラジルの時代
ブラジルに上陸したポルトガル人が最初に主要貿易品目としたのが、ブラジル東沿岸地域の森林に産するパウ・ブラジル(ブラジルボク)で、レシフェとポルト・セグーロ(ES)にインディオとの交易所が設立された。パウ・ブラジルが輸出された時代は1500年頃から1570年頃まで続き、これがペルナンブーコ発展の基礎となる。
1532年、ポルトガル国王ジョアン3世がブラジル国土に15のカピタニアを創設、ドゥアルテ・コエーリョがペルナンブーコのカピタンとなる。ペルナンブーコは他のカピタニアに先んじて発展し、ブラジル随一の発展地域となる。

サトウキビの時代
1570年頃より、サトウキビの栽培がはじまり、ブラジルの主要対外貿易品目となる。サトウキビ農園の約半数は土壌と気候に恵まれたペルナンブーコの沿岸地域に集中していた。
サトウキビ農園はエンジェーニョと呼ばれ、大規模農園領主が独立的な立場で土地を経営するという体制が採られた。アフリカから奴隷を輸入(奴隷貿易)し使役する一方、ごく少数のヨーロッパ系白人が支配者層として君臨するという封建的制度は、極端な貧富の差となって今尚この地方に遺風を残し、現代この地域が経済発展する上での足枷となっている。
サトウキビ産業が生む利益は1690年頃のサトウキビ不況を期に落ち込み、ブラジルの主要産品が南西部ミナスジェライス州の金、ダイヤモンドへ移行すると同時にペルナンブーコの経済は停滞、凋落することとなる。

オランダ領ブラジル
1581年にオランダ共和国が独立、スペインと同君連合にあったポルトガルとも対立し、オランダの海外領土拡大の矛先がブラジルに向けられ始める。1624年、オランダはバイーア州に侵攻するも、1年で撤退した。次いで1630年にレシフェとオリンダに侵攻し、オランダ領ブラジルが成立する。レシフェ(オリンダ)はオランダ領ブラジルの首都になり、オランダ西インド会社資本の元、商港都市として発展する。ナッサウ=ジーゲン伯ヨハン・マウリッツの統治下、オランダ領ブラジルは、1641年までにマラニョン州まで版図を拡大する。
オランダの侵攻により、各地のエンジェーニョで奴隷として使役されていた黒人が山間部に逃亡し、ベルナンブーコからバイーア州にかけての山間部にはキロンボと呼ばれる黒人自治による防衛村落が築かれた。
1644年、ナッサウ=ジーゲン伯がオランダに帰還すると、西インド会社に従属を余儀なくされていた住民が反乱を起こし、1654年にオランダ人は反乱軍に降伏した。ポルトガル人の力を借りず自力で領土を解放したブラジルの住民が、我々はブラジル人であるとアイデンティティを固めた契機となった。

マスカッテ戦争
1710年、レシフェの商人の勢力が台頭し、農園領主が勢力を持つオリンダからの分離独立を求めて対立し、戦争となる。農園領主が商人を「行商人(マスカッテ)」と侮蔑的に呼んだことから、マスカッテ戦争と呼ばれる。結果、重商主義を採るポルトガル本国政府の後押しを受けたレシフェの商人側が勝利し、レシフェがオリンダから分離して市に昇格した。

参考URL:ペルナンブーコ州Wiki
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by cluracan | 2012-03-31 11:35 | Discovery


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