【港・集落】 ブレーメン

ヴェーゼル川河口に位置する港湾都市。9世紀に大司教座の街として興った。14世紀ごろにはハンザ同盟都市となり、商業都市として繁栄した。

e0020973_1435105.jpg


起源は、BremeもしくはBremumと呼ばれる部族が、ヴェーザー川右岸に定住したことに始まるとされる。
紀元150年にはすでにアレクサンドリアの地理学者クラウディオス・プトレマイオスは、この入植地の存在を記録している(Fabiranum、または Phabiranumとも記述している)。
司教座都市および商都としてのブレーメンの歴史は8世紀まで遡る。この地はライン川からエルベ川、または北海から南ドイツに向かう交易の十字路に位置しているため、交易の要衝として重要視されるようになっていた。
ブレーメンは787年にカール大帝によって司教座都市に指定されたが、当初は不安定な宣教地であった。宣教師Willehadは782年に「... ブレーメンから追放され、2人の司祭は殺害された。」と記述している。
845年に大司教区に昇格した後、アーダルベルト・フォン・ブレーメン大司教の下(1043年から1072年)、最初の隆盛を経験した。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)は1186年にブレーメンを帝国都市(一般には自由帝国都市と呼ばれる)としたが、帝国直轄とはしなかった。
1260年に都市ハンザが形成され、
1358年にハンザ同盟に加盟した。加盟当初は力のない同盟都市に過ぎなかったが、これ以後急速に経済力、政治力をつけ、ブレーメン大司教の世俗支配をはねのけるまでに成長した。その自由な気風の象徴としてローラント像(1404年)や市庁舎(1409年)がマルクト広場沿いに建設された。
1574年から1590年に建設されたヴェーザー港を防衛するため、ヴェーザー川左岸に防衛施設を有する新市街が建設された。また、13世紀に洪水防止用堤防として現在のシュラハテが設けられて以降、ヴェーザー川に砂が堆積するようになり、ブレーメン商人の貿易船は着岸が困難となった。この状況を改善するため、1619年から1623年に下流のフェーゲザックにオランダ人建築家によってドイツ初の人工港が設けられた。
三十年戦争の間、ブレーメンはかつてハンザ同盟の仲間であったハンブルク、リューベックと同盟を結んで独立を守り、フェルディナント3世による1646年のリンツ免許状で帝国直轄の地位が確立された。
しかし、三十年戦争終戦後の17世紀から18世紀にはその帝国直轄の地位が脅かされることとなった。1648年のヴェストファーレン条約でスウェーデンに支配権が移譲され、事実上スウェーデンの宗主下におかれた。
さらに1700年に始まった大北方戦争の結果、フェルデンと共にハノーファー選帝侯の支配下に移された(1720年、ストックホルム条約)。事実、
1741年のシュターデの第2和議における特許状ではハノーファー選帝侯による統治権や軍税の統一を余儀なくされている。
1783年、ブレーメン商人は大西洋を越えてアメリカ合衆国との直接交易を始めた。

参考URL:ブレーメンWiki
[PR]
by cluracan | 2012-03-25 14:38 | Discovery


大航海時代onlineの1プレイヤーの日記


by cluracan

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ

全体
Top
Diary
Company
Link
Travel
Discovery

以前の記事

2012年 12月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2009年 01月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月

フォロー中のブログ

チハ改のDOL雑記@乙鯖

メモ帳

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧