【港・集落】 バンジェルマシン

カリマンタン島南岸の港。14世紀にはマジャパヒト王国の支配を受ける。現在はイスラム教の影響下にある。郊外には先住民のダヤク民族が住んでいる。

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オランダは、19世紀にバンジャル王国の首都バンジャルマシン地域へ干渉をはじめた。
1850年に王家の中に対立が生まれ三つのグループに分裂した。オランダはこれを利用し、王国の政治に介入しはじめた。
1851年、オランダはその中の一つのグループを懐柔しパンゲラン・タムジドゥラーを王に任命した。しかし、その王は民衆に支持されていなかった。
1859年にグループ同士の争いからバンジャルマシン戦争が起こった。オランダは、前に擁立したタムジドゥラー王を廃位し、アンタサリ派のパンゲラン・アンタサリを擁立しようとしたが拒否された。このとき、オランダは本社機能をマルタプラへ移した。
1860年、オランダは、この地域全体(王国)を支配地域にしてしまった。
1862年、オランダは民衆に支持されているヒダヤトゥラー派のパンゲラン・ヒダヤトゥラーを捕らえ流刑に処した。しかし、戦争は終わらなかった。その後の戦争で、民衆に任命されて王となっていたパンゲラン・アンタサリは傷を負い同年死去した。その息子達によってオランダに対する抵抗運動は続けられた。

参考URL:バンジャルマシンWiki

カリマンタン島(ボルネオ島)
4世紀末~5世紀初頭 島の東部にクタイ王国が貿易で繁栄。当時の石碑が残されている。東南アジア地区における、ヒンドゥー教の最も初期の影響によって、東ボルネオのマハカム川沿いのクタイで発見されたPallava scriptの彫られた4世紀後半の日付が残る石柱が作られた。
古代の中国、インド、ジャワの書簡によると、西暦1000年位まで、ボルネオ西海岸の街は、貿易ルートの一部である貿易港であった。インド人は、スマトラ島と間のボルネオ西部の島を含めて、ボルネオを「金の土地(Suvarnabhumi) 」及び「樟脳の島(Karpuradvipa)」と名づけた ジャワ人はボルネオを「Puradvipa」あるいは「ダイアモンド島」と名づけた。
サラワクの川のデルタ地帯における考古学的な発見物により、この土地が6世紀から西暦約1300年までの間、インドと中国の貿易の中心地として栄えていたことを示している。
15世紀、明の鄭和が「婆羅」に寄航したとある。婆羅はボルネオの中国語表記。
16世紀頃 西欧の商人が渡来し始める。

参考URL:ボルネオ島Wiki
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by cluracan | 2012-03-21 14:59 | Discovery


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