【港・集落】 バルセロナ

古代ローマ時代から、地中海貿易の拠点として栄えた街。製鉄技術が発達しており、大砲や銃が作られている。火器に関係する交易品が多く取引されているが、皮革製品の加工技術も有名である。

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伝説によれば、ハンニバルの父であるハミルカル・バルカが、カルタゴ人都市であるバルチーノを建設したという。後に、ローマ人がこの町を、現在の市庁舎(Sant Jaume 宮殿)近くの小さな丘である Mons Taber を中心とするカストルム(ローマ軍の宿営地)に作り替えた。ローマ人の都市計画の名残は、旧市街の地図や今も残るローマ時代の城壁の破片に見ることができる。ローマ時代の重要な遺物は、市立歴史博物館の入口にあるパラウ・レイアル・マジョールに展示されている。
5世紀より西ゴート王国の支配下におかれたが、
8世紀初頭にイスラーム勢力のウマイヤ朝によって征服された。
801年、フランク王国の遠征によってスペイン辺境領に組み込まれた。
9世紀末になるとフランク王国からの自立を進め、バルセロナ伯領を中心とするカタルーニャ君主国を確立させた。
985年にはイスラーム側のアル・マンスールによる包囲を受けたものの撃退した。
その後のバルセロナは、アラゴン連合王国を構成する一勢力として、多数の海外領土を包含するまでに拡大し、バルセロナからアテネに至る地中海を支配するまでになった。
しかし、15世紀にカタルーニャ・アラゴン連合とカスティーリャ王国との間で統一王朝が形成されると、スペインの中心はマドリードへと移行し、バルセロナは衰退してゆく。以上のような歴史的経緯によって、バルセロナを含むカタルーニャ地方全体において現在でもカタルーニャ語を話す者が多数を占めている(カスティーリャ語とのバイリンガル)。
1640年から1652年の収穫人戦争及びカタルーニャ共和国以後荒廃し、
1714年のスペイン継承戦争の間に再び荒廃した。フェリペ5世は、反乱を起こしたバルセロナを処罰し、統制するために、商業地区 (La Ribera) の半分を取り壊して城塞を建設した。

参考URL:バルセロナWiki
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by cluracan | 2012-03-18 10:50 | Discovery


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