【港・集落】 パタニ

イスラム教を国教とするマレー人の国であるパタニ王国の首都。
マレー王朝の中でもいち早くイスラム化を果たした。

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パッターニーのことと思われる。

パッタニーには14世紀から19世紀にかけてパタニ王国という半独立の王朝があったが、これは事実上スコータイ王朝、アユタヤー王朝、チャックリー王朝の支配下にあった。その後チャックリー改革によりパタニ王国は廃止され、大英帝国との協定によってパッターニーはマレー人が多く住みながらも、タイの一部となった。

参考URL:パッターニー県Wiki

パタニ王国
13世紀、ランカスカ王国は、ヒンズー=仏教帝国シュリーヴィジャヤ王国の属国となってパレンバンへ遷都し、パタニ王国が成立した。シュリーヴィジャヤ王国は南シナ海の貿易を支配し、マラッカ海峡を通過する全ての貿易から通行料を徴収した。マレー文化はクメール王国と古代都市ナコーンパトムへ大きな影響を与えた。
13世紀中期、イスラーム帝国の基礎が築かれたと考えられており、そのときラジャ・スリ・ワンサ(Ismail Shah)によってパタニの名を戴いたが、彼がマレー半島東海岸で遷都する場所を指さし、「パタイ・イニ(この浜にしよう)」と叫んだことが発端となっていると地元の伝承は言う。別の伝承によると遷都するかなり前にパック・タニ(Pak Tani、タニおじさんの意)という有徳者が住んでいたためそう呼ばれるようになったとする。別の説では、その伝承はen:Pan Panのものと指摘している。いずれにせよ、遷都当時の首都は現在のパッターニー県ムアンパッターニー郡ではなく現在のマスジド・クルーセ付近で、このパタニ王国は現在マレー王朝のなかで一番古いイスラム王国であると考えられている。
マレー半島東海岸のパタニは南シナ海貿易の要港で、古くから中国商船が来航し、琉球王国とも通好関係があった。
1511年のマラッカ王国の陥落によりマレー貿易の中心がパタニに移っていたため、パタニ王国はインド人ムスリムの商人が以前よりも頻繁に訪れるようになっていた。
1516年にはポルトガル人の探検家ゴディーニョ・デ・エレディアがパタニの地を踏んだことで、パタニ王国は西洋にも知られるようになった。
16、17世紀の大航海時代にはポルトガル、オランダ、イギリスが商館を構え、日本からも朱印船が渡来し日本人街もあったという。

参考URL:パタニ王国Wiki
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by cluracan | 2012-03-17 14:10 | Discovery


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