【港・集落】 トレビゾント

黒海南岸に位置する街である。過去には独立した帝国だった。農業に適した気候で耕作・畜産・漁業いずれも盛んである。

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トラブゾン(Trabzon)は黒海沿岸のトルコの都市。古くはトラペズス(Trapezous, Τραπεζούς)、トレビゾンド(Trebizond)とも呼ばれた。

紀元前7世紀 ギリシア人によって交易都市として建設された。
ポントス王国、ローマ帝国の支配下において繁栄する。とくに、ペルシアやメソポタミアへの通商路の基点として重要な都市となった。
258年 ゴート人に破壊された後は衰えた。
その後は東ローマ帝国の地方都市となった。
中世にはテマ(軍管区。中世東ローマ帝国の地方行政単位)-カルディアの首府としてポントス地方の中心都市となった。
1204年 第4回十字軍によるコンスタンティノポリス占領の際、コンスタンティノポリスから逃れたアレクシオス・コムネノス(東ローマ皇帝アンドロニコス1世コムネノスの孫)が、グルジア女王タマルの支援を受けて、トラブゾンを首都とした亡命政権トレビゾンド帝国を建てた。領土は限定的であったが、グルジア王国や白羊朝(アク・コユンル朝)などと姻戚関係を結ぶことで政治的独立を維持し、トラブゾンは交易港として栄えた。1461年 トレビゾンド帝国はオスマン帝国のメフメト2世によって滅ぼされた。

参考URL:トラブゾンWiki

トレビゾンド帝国(トレビゾンドていこく、Trebizond, 1204年 - 1461年)
1204年 東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスが第4回十字軍によって陥落させられた際に、東ローマ帝国の皇族達が建てた亡命政権の一つ。トレビゾンドを首都とした。
1204年4月、東ローマ皇帝アンドロニコス1世コムネノス(在位:1183年 - 1185年)の孫アレクシオス・コムネノスがトレビゾンドを占領して建国。コムネノス王朝(1081年 - 1185年)の本流を継ぐものとして、「メガス・コムネノス(大コムネノス家)」と称した。しかし実際は、建国に尽力したグルジア王国の傀儡にすぎなかった。
当初は東ローマ帝国の亡命政権の中では最初にコンスタンティノポリスを奪還する勢いであったが、他の亡命諸侯との連携を欠いたため、同じ亡命政権のニカイア帝国やトルコ人のルーム・セルジューク朝に敗北し、小アジア北東部・ポントス地方の地方政権に転落してしまった。しかし、東ローマ帝国滅亡後の1461年にオスマン帝国によって滅ぼされるまで約250年間存続し、史上最後の東ローマ系国家となった。国家としてはあまり強大ではなかったが、東西交易路の途上に位置するその地理的状況はこの国に多くの富をもたらし、また周辺のグルジア、アルメニアなどのキリスト教文化圏との交流も盛んであった。外交上は東方のイスラーム諸勢力、特に白羊朝ペルシアと婚姻関係を基にした同盟関係を結ぶなどして独立維持を図っている。
東ローマ世界の飛び地として、この帝国でもギリシャ正教の文化が継続し花開いた。首都トレビゾンドに残る聖ソフィア聖堂、ポントスの山中に創立されたスメラ修道院(現在は廃院)などがその代表的な姿を今に伝えている。
このトレビゾンド帝国の国民の末裔であるギリシャ系の人々は、他のギリシャ人居住地域から切り離されたままオスマン朝の治下でも暮らしを続け、後にポントス人と呼ばれることになる。

参考URL:トレビゾンド帝国Wiki
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by cluracan | 2012-03-12 17:12 | Discovery


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