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【港・集落】 テルナーテ

テルナーテ王国の首都で、モルッカ諸島北部に位置するテルナーテ島にある。近年、同島で産出される高価な香辛料を求め、ヨーロッパ人が進出。街を建造するに至った。

【港・集落】 テルナーテ_e0020973_16531743.jpg


テルナテのことと思われる。
テルナテ王国はインドネシア東部の広い範囲を統治していた。
16世紀末 スルタン・バブラ(Baabullah)はスラウェシ島の東部から、モルッカ諸島全体、小スンダ列島、パプアの一部にまで影響力を持ち、この時期がテルナテ王国の最盛期。
テルナテ島は丁子(クローブ)の数少ない産地として知られ、ヨーロッパ人が到達する以前から中国人やマレー人の商人が訪れていた。その後イスラム教が交易ルートに乗ってもたらされると、王家や住民の改宗が進んだ。
1512年 初めてテルナテ島を訪れたのはマラッカから来たポルトガルの探検家、フランシスコ・セラン(Francisco Serrão)らだった。彼らはモルッカ諸島探検航海中にセラム島の近くで難破し地元の住民に救助されていた。テルナテのスルタン・Abu Laisは彼らの困窮ぶりを耳にすると、テルナテ島まで連れて来させた。これを機にスルタンはポルトガル人と同盟を結び、島に砦を作ることを許可した。
1575年 ポルトガル人のスルタン廃立への関与や宣教師たちの強引な布教活動などで住民の怒りを買い、島から追放された。
1606年 スペイン人はポルトガル人に対抗してティドレ島に拠点を置いていたが、テルナテ島のポルトガル人が築いた砦を占拠し、スルタンを捕まえてマニラに移送した。
オランダ人は1599年にモルッカ諸島に進出していたが、1607年にはテルナテ島の一部を占領した。
その後1663年にスペインが撤退するまでテルナテ島はオランダ領とスペイン領に二分された。
オランダは丁子(クローブ)の生産拠点をアンボン島など管理しやすい島に移したため、丁子貿易で栄えたテルナテ島はモルッカ諸島の政治経済の中心をアンボンに譲り渡した。
イエズス会のフランシスコ・ザビエルは日本を訪れる3年前の1546年にアンボン島、テルナテ島、モロタイ島を訪れ布教活動をしている。

参考URL:テルナテ島Wiki
by cluracan | 2012-03-06 17:01 | Discovery


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