【港・集落】 セウタ

紀元前にフェニキア人によって築かれたと伝えられる街。その後イスラムの支配下にあったが、15世紀初めにポルトガルが奪った。バジルなどが作られているほか、近海でサンゴが採れる。

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セウタの名は、七つの丘を意味するラテン語名Septem Fratresから派生したとされる。
セウタは海上交通また軍事上の要衝として、重視されてきた。
紀元前7世紀にはフェニキア人が定住地を築き、アビラと呼んだ。その後この地を占領したギリシャ人は、Hepta Adelphoiと呼んだ。
紀元前319年にはカルタゴが支配下においた。
紀元前201年、第二次ポエニ戦争でカルタゴが降伏すると、街はヌミディア王国へ割譲された。
紀元前47年にはマウレタニア領となった。
紀元後40年、カリギュラ帝がマウレタニアを併合し、ローマ属州マウレタニア・ティンギタナの都市になった。このときの名はセプティムという。
5世紀半ばにはローマ人の手を離れヴァンダル人の支配に帰したが、ユスティニアヌス1世時代に将軍ベリサリウスが占領し、東ローマ帝国領となった。
710年にイスラームを奉するウマイヤ朝が侵攻すると、当時の西ゴート王国の知事ユリアヌスは寝返り、イスラム軍に対してスペイン侵略を説いた。アラブ側史料によれば、その背景には西ゴート王ロデリックがユリアヌスの娘に乱暴を働いた恨みがあるという。セウタはまもなくイスラム軍のイベリア半島攻撃の拠点となった。ユリアヌスの死後、セウタの支配はイスラム側に帰した。
788年、モロッコのイドリース朝がセウタを占領した。
931年、後ウマイヤ朝のカリフ、アブデラーマン3世がイベリア半島にあったカリフ領を征服した。その後、グラナダ王国とフェズ王国の係争地となり、カスティーリャ王国とアラゴン王国がセウタ攻略に介入することがたびたびあった。
1415年にエンリケ航海王子がセウタを奪取し、セウタはポルトガル王国領となった。この攻撃の目的は、この地域一帯からイスラム勢力を駆逐し、キリスト教を振興することにあった。ポルトガル領だった名残は、セウタの紋章がポルトガル王国の国章に酷似している点に表れている。
1580年、ポルトガルのアヴィシュ朝が断絶した後、アブスブルゴ朝スペインのフェリペ2世がポルトガル王位を継承し、セウタはスペイン領となった。
1668年1月1日のリスボン条約でポルトガルの独立が再び認められた際、セウタは正式にポルトガルからスペインに割譲された。

参考URL:セウタWiki
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by cluracan | 2012-02-27 14:34 | Discovery


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