【港・集落】 セヴァストポリ

黒海に面し、クリミア半島に位置する港湾都市。

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古代この地にはボスポロス王国の都市ケルソネソス(ケルソン)があり、6世紀に東ローマ帝国の統治下になった後も東ローマ帝国のクリミア半島における統治の拠点、ハザールやキエフ大公国などとの交易拠点としてテマ(軍管区)が置かれ、12世紀のコムネノス王朝時代まで東ローマの領土であった。
12世紀後半に東ローマが衰退すると、その後はモンゴル人のキプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、その後裔のクリミア・ハン国などの支配下にあったが、1783年、ロシア帝国がクリミア半島を併合した際、一緒に組み込まれた。その後、重要な海軍基地、商業港として発展してきた。

参考URL:セヴァストポリWiki

ボスポロス王国Wiki

クリミア半島の歴史
最初の住人は、確かな痕跡によると、キンメリア人であったが、紀元前7世紀の間に、スキタイ人によって追い払われた。彼らは、山岳部に避難し、のちにタウリ人として知られるようになった。

ギリシア人の植民とボスポラス王国
同じ頃、ギリシャによるテオドシアやパンティカペイオン(ボスポラス)への植民も始まっていた。ヘラクレイアからのドーリア人がケルソネソスへ、ミレトスからイオニア人がテオドシアへというように植民者が定着した。紀元前438年、ボスポラス王国の王はアテナイと密接な関係を持ち、小麦などの産物を供給していた。
3人いる内の最後の王ペリサデス5世は、紀元前114年、スキタイ人の脅威に直面して、ポントス王国の王ミトリダテス6世の保護下に入った。その息子パルナケスは、父親とは反対にローマ帝国側に協力し、その報いとしてボスポラス王国とともにポンペイウスによって統治権が認められている。
紀元前15年、再びポントス王に従ったが、その後はローマ帝国の属国として位置付けられた。

民族大移動、フン・ハザール、ビザンティン、キプチャク、モンゴル時代
それから幾世紀にも渡り、クリミア半島は他民族の侵入と占領の場となっていた。250年のゴート族、376年のフン族、8世紀のハザール人、キエフ大公国、1050年のキプチャク・ハン国、1237年のモンゴル帝国である。
ただし、南部のケルソネソス(ケルソン)一帯はビザンティン帝国領として古代ローマ時代から11世紀頃まで維持され、帝国のテマ(軍管区)が置かれていた。

ジェノヴァ時代とタタール人
13世紀になり、ジェノヴァ人は、クリミア半島の沿岸にある競争相手ヴェネツィアの植民地を破壊したり、占領したりしており、自らは、ユーパトリア、チェンバロ、ソルダイア(スダク)、カッファ(テオドシア)などに植民地を建設し、活発な商業活動を行った。
一方、タタール人は、13世紀の初期に半島の北部と中央部に留まった。キプチャク・ハン国がティムール帝国によって滅亡させられた後、チンギス・ハーンの子孫であり、ガージー・ギライをハーンとするクリミア・ハン国が成立した。彼は最初クリミア一帯を統治していたが、15世紀初頭にはバフチサライも領土に含めた。しかし、立場はオスマン帝国の属国の王として、1478年から帝国の滅亡する1777年まで統治した。

参考URL:クリミア半島Wiki
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by cluracan | 2012-02-27 14:18 | Discovery


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