【港・集落】 スエズ

紅海の最北端にある街だ。内陸を経由する交易や、メッカに巡礼する人々の通過点として古くから栄えた。エジプトとアラビアの産物が流通している。

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7世紀に現在のスエズの街の近くにあった、ギリシャ語で浣腸あるいは海の潮汐を意味する Κλύσμα に由来するラテン語名 Clysma またはトルコ語名 Kolzum、アラビア語名 القلزم, al-Qulzum として知られる町が、ナイル川と紅海を結ぶ運河の終点にあった。
16世紀にはトルコの海軍基地があった。

参考URL:スエズWiki

スエズ運河に関して
紀元前1897年から紀元前1839年 エジプト第12王朝ファラオのセンウスレト2世やセンウスレト3世など伝説的セソストリスらは、ナイル川と紅海を繋ぐ運河の建設に乗り出したと言われる。当時の紅海は現代よりも北まで海進しており、現在のグレートビター湖やティムサ湖も海域にあった。
紀元前1470年 ハトシェプスト在位時に行われたプント遠征譚を描いたレリーフには、遠征軍がプントからの帰路が航海だったことを表現している。この事から、当時紅海とナイル川を結ぶ航路が存在したという提言がある。
紀元前600年頃にネコ2世はブバスティスとピション(ヘリオポリス)を東西に貫きワジ・トゥミラートを通る運河建設に着手したとギリシアのヘロドトスが著した『歴史』にあり、それをヘリオポリス湾と紅海まで延長したと考えられる。しかし、彼の事業は完遂されなかったとも伝わる。
ネコ2世の運河は、古代エジプトを征服したペルシアのダレイオス1世によって完成された。
プトレマイオス2世から約100年後のクレオパトラ7世の頃には、ナイル川デルタのペルシア川支流に溜まったシルトによって、東西を結ぶ運河はどれも航行不能な状態になってしまった。
8世紀までの時期、オールドカイロと紅海を結ぶ運河が存在した。
767年 アッバース朝のカリフであるマンスールがアラビア半島の敵対勢力に対抗するため、運河を閉鎖したと伝わる。

参考URL:スエズ運河Wiki
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by cluracan | 2012-02-23 15:20 | Discovery


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