【港・集落】 サントドミンゴ

イスパニョーラ島の南東部にある街。開拓されたばかりの街だが、航海の便がよく、カリブの交易の中心地として栄えている。カリブ特有の農作物のほか、サトウキビの栽培が広く行われている。

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1492年にクリストファー・コロンブスが到着する前、タイノ族は彼らがキスケヤ (Quisqueya) またはアイチ (Ayiti) と呼んでいた島に住んでいた。コロンブスはこの島をイスパニョーラ島と名付けた。当時、島はマリエン (Marién) 、マグア (Maguá) 、マグアナ (Maguana) 、ジャラグア (Jaragua) 、ヒグエイ (Higüey) の5種の族長の領土であった。5つの領土は、それぞれグアカナガリクス (Guacanagarix) 、グアリオネクス (Guarionex) 、カオナボ (Caonabo) 、ボヘチョ (Bohechío) 、カヤコア (Cayacoa) のカシケ(首長)によって統治されていた。
1496年、スペイン人が島に定住し、1498年8月5日、公式にサントドミンゴは南北アメリカで最も古い欧州風の都市となった。クリストファー・コロンブスの弟バーソロミュー・コロンブスは、居住区を創設し、スペイン女王のイサベル1世にちなんで、居住区をイザベラ (La Isabela) と名付けた。そこは後にドミニコに敬意を表してサント・ドミンゴと改名された。
1502年にサント・ドミンゴはハリケーンによって破壊されたため、新統治者ニコラス・デ・オバンドは、付近の別の土地に街を再建した。 
コロンブス到着後の最初の100年、サント・ドミンゴは、新大陸の探検や征服の拠点となった。エルナン・コルテスのメキシコ征服やバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアの太平洋の調査などの遠征は、すべてサント・ドミンゴが拠点となった。
1586年フランシス・ドレークが、街を占領して身代金を要求した。イスパニョーラ島でのドレークの侵略や海賊行為は、50年以上に渡って、スペインによる島の支配を弱体化させ、街が放棄され、海賊行為が横行するまでになった。
1655年英国のオリバー・クロムウェルによって派遣された軍がサント・ドミンゴを襲撃したが、敗れて撤収し、街の代わりにジャマイカ島を占領した。

参考URL:サントドミンゴWiki
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by cluracan | 2012-02-16 11:57 | Discovery


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