【港・集落】 カリアリ

サルデーニャ島の南部にある街。地理的に多くの勢力の争いに巻き込まれやすく、支配勢力が次々に変わった。その結果、さまざまな文化が共存する街となった。

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カラリス(Karalis、古代ギリシャ語:Kalares、ラテン語:Càralis)の名。

古代
カリャリは古代より人が定住していた。海と肥沃な平野に挟まれた好ましい状況が占め、周囲を2箇所の湿地に囲まれていた(これは内陸からの敵の攻撃を防御するのに適していることを示す)。そして高く緑の多い山地に近接していた(もし何もかも失っても人々は定住地を立ち退くことが可能だった)。先史時代の住民のいくつかの証拠は、モンテ・クラーロとサンターリア岬で見つかっている。
カラリス(Karalis、古代ギリシャ語:Kalares、ラテン語:Càralis)の名で、紀元前7世紀頃、ティルスをつくったフェニキア人が、サルデーニャ島での貿易植民地の一群の一つとしてカリャリをつくった(その他にはスルキス、ノーラ、タロスがあった)。定住地の基盤は明確にカルタゴ人へあてがわれた(パウサニアス x. 17. § 9; クラウディアヌス, B. Gild. 520)。優れた港であるのと同様に、アフリカ大陸との通信にうってつけの位置であったためである。ローマ人に征服されたのも、同じ重要な条件のもとでローマの政権が行ったと推測されるのは疑いもない。島をローマが征服した時期についての記載は何も見つかっていない。しかし第二次ポエニ戦争の間、プラエトルであったマンリウスの本部が島に置かれていた。彼はハンプシコラとカルタゴ人に対抗する作戦に従事していた(リウィウス xxiii. 40, 41)。その他の機会に現れたのは、島のローマ海軍主要基地としてで、プラエトルの住居があった(Id. xxx. 39)。
歴史家フロルスは、カラリスをウルブス・ウルビヌム(urbs urbinum)またはサルデーニャの首都と呼んだ。彼はウルブス・ウルビヌムがグラックス兄弟によって攻略され厳しく懲罰を加えられたと描いている(ii. 6. § 35)。しかしこの文書はすっかりリウィウスによって与えられた記事と食い違っている。サルデーニャでのグラックスの戦争は、都市がローマへの忠誠を表したもので、反乱は山岳地帯の部族を封じ込めたのである(xli. 6, 12, 17)。ユリウス・カエサルとポンペイウスが争ったローマ内戦では、カラリス市民は初めカエサルに賛同した。その後すぐサルデーニャ諸都市もそれにならった(Caes. B.C. i. 30)。カエサル自身はアフリカ大陸からの帰還の途中、自身の船団をこの地に寄港させた(Hirt. B. Afr. 98.)。わずか数年後、サルデーニャがポンペイウスの部下メナスの手に陥落した後、カラリスはどんな抵抗運動も示す島唯一の都市となった。しかし、短期間の包囲戦で陥落した(カッシウス・ディオ xlviii. 30.)。
ローマ帝国時代に歴史上何が起きたか記載がないが、引き続きカラリスは島の首都であったとみなされる。そしてローマ植民地とならなかったことで、住民はローマ市民の権利を獲得した(大プリニウス iii. 7. s. 13; ストラボン v. p. 224; ポンポニウス・メラ, ii. 7; アントニーニ・イティネラリウム pp. 80, 81, 82, )。西ローマ帝国滅亡後、サルデーニャ島の残りと共に、カラリスはヴァンダル族の手に陥落した。しかし、中世を通じてその重要性は維持されたことがわかっている。
クラウディアヌスは、岬または土地の先端へ向かって都市の長さが伸びたとして古代都市について記述している。都市の突出は、カラリス港を敵から隠すためにあった。大規模艦船のために良い停泊地が好まれた。そのうえ、唯一の良く隠された道路が固定され、スタニョ・ディ・カリャリ(Stagno di Cagliari)と呼ばれる大規模塩湖または潟がカラリスと接続した。塩湖は狭い地峡で湾と行き来ができ、カラリスの内港または係船地として古代から用いられてきたとクラウディアヌスは記述している(クラウディアヌス. B. Gild. 520-24.)。カラリスと接続した岬は明らかに、プトレマイオス(Κάραλις πόλις καὶ ἄκρα)によって注目されていた。しかし、大プリニウスのカラリタヌム・プロモントリウム(Caralitanum Promontorium)は、先端(現在のカルボナーラ岬。カリャリ湾の東の境となっている)以外の土地を記述せず、島全体の南東端にあったとする。現在はカヴォリ島と呼ばれる小さなフィカリア島のことだろう(大プリニウス、 l. c.; Ptol. iii. 3. § 8)。

カリャリのジュディカーティ
ヴァンダル族支配の後に立ち替わって、東ローマ帝国が台頭し、カリャリは判事(giudicato)が支配する独立王国の首都となった。しかし、外部支配からの自治時代に関するいくつかの痕跡があるが、市は荒廃してしまった。海からのムーア人海賊による攻撃にさらされすぎたためであった。明らかに、多くの住民がカリャリを離れ、カリャリ西のサンタ・ジッラ湿地に近接する一帯にサンタ・イジアという名の新たな定住地をつくったが、ここは海から遠かった。カリャリのジュディカーティは、カンピダーノ平野の広域からなり、スルキスとオリアストラ山岳地帯の鉱物資源があった。その他に自治権を持つジュディカーティは、北西のログドーロ、北東のガッルーラ、アルボレアであった。

11世紀
11世紀の間、ピサ共和国が南東のスルキスをあらかじめ攻略し、カリャリのジュディカーティを征服して町そのものを再建した。ピサは中世に地中海の覇権を争った4つある海洋共和国の一つであった。ピサとジェノヴァ共和国はサルデーニャ支配を熱望した。それはイタリア本土と北アフリカ間の通商路を押さえる完璧な軍事的要所であったからだった。
防衛施設のいくつかは、今もカリャリのカステッロ地区を取り巻いている。これらに含まれるのでよく知られているのは、ピサによって建設された白い石灰岩の2本の塔で、ジョヴァンニ・カプラによって設計された(原型は、地区と往来できる3つの門を守る3本の塔だった)。 カステッロ地区と共に、カリャリはマリーナ地区(港湾を含む)、スタンパチェ地区、ヴィッラノーヴァ地区からなる。マリーナ地区とスタンパチェ地区は城壁によって守られていた。ヴィッラノーヴァ地区は主として農民が住んでいたため、城壁はなかった。
1089年、カリャリの判事であったコンスタンティーノ・トルキトーリオは、『カリャリ判事およびカリャリ王』(rex et iudex Caralitanus)を名乗った。

14世紀
14世紀、アラゴン王国がピサとの戦いの後にカリャリを征服した。そしてサルデーニャ全土征服の計画を進めた。サルデーニャがついにアラゴン支配下に入ったとき、カリャリ(スペイン語及びカタルーニャ語ではCàller)はサルデーニャ副王国の行政首都とされ、後にはスペイン帝国支配下に入った。スペイン支配に大勢が同調したことが、カリャリとサルデーニャ島の衰退を招いた。

18世紀
1720年、オーストリア・ハプスブルク家の事実上の支配後、カリャリとサルデーニャはサヴォイア家のものとなった。サルデーニャの支配者として、サヴォイア家はサルデーニャ王の称号を使用した。サルデーニャ王国は、サヴォイアとニース、ピエモンテ、リグーリアが含まれていた。王国の首都は名目上カリャリに置かれたが、サルデーニャという名にもかかわらず、事実上サヴォイア家の本拠地である本土のトリノに置かれた。
18世紀終盤のフランス革命以後、フランスは地中海の要所であるカリャリを征服しようとした。フランス軍はポエットの海岸に上陸し、カリャリへ進軍した。しかしサルデーニャ軍がフランス軍を退け、革命軍に対して王国の防衛を決定づけた。カリャリの人々は、町をフランスから守った見返りとしてサヴォイア家からいくらかの利権をもらおうと期待した。例えば、カリャリの貴族は王国議会のサルデーニャ代表議員の地位を望んだ。王家がサルデーニャ島側への利権全てを拒むと、カリャリ住民はサヴォイア家に対して蜂起し、ピエモンテからやってきた王家を代表する官僚や出身者を追放した。この暴動は、4月最後の週にディエ・デ・サ・サルディーニャ("Die de sa Sardigna"、サルデーニャの日)としてカリャリで祝われてきた。しかし、サヴォイア家は事実上の自治支配後にカリャリ支配を奪還した。

参考URL:カリヤリWiki
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by cluracan | 2012-01-26 22:34 | Discovery


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