【港・集落】 アルジェ

西暦980年に、イスラム勢力によって建設された街。近年、バルバリア海賊に占領され、拠点となった。紡績や鉱業のほか、農業が盛んである。

e0020973_14431413.jpg


紀元前1200年頃にはフェニキアがこの地に植民して交易所を置いていた。
ポエニ戦争後は、ローマ帝国の領土となってイコシウムとよばれた。
5世紀中頃にゲルマン系ヴァンダル族によって一時侵略された。
次に、東ローマ帝国がここを支配した。
650年アラブ人に駆逐された。

950年頃、先住民族ベルベル人のズィール朝によって現在の市街が創建された。彼らによって名付けられた現在のこの町の名前「アルジェ」は、「島」を意味するアル・ジャザーイルというアラビア語に由来する。それから500年間、この町の支配権はヨーロッパ、アラブ、ベルベルの軍人たちが交互に握った。

1510年 スペインが湾の小島の1つペニョン島を占領し、要塞とした。
1518年 このためアルジェを支配していたバルバリア海賊のバルバロス・ハイレディン兄弟はオスマン帝国に対スペイン戦の支援を求め、帝国に帰属することを宣言することでスペイン人を追い出した。オスマン帝国支配時代のアルジェは、オスマン艦隊の拠点となり、ヨーロッパ諸国から海賊海岸として恐れられた。その後300年間にわたって、行政・交易・地中海での海賊活動の中心として栄えた。

参考URL:アルジェWiki

バルバリア海賊
バルバリア海岸と呼ばれた北アフリカのアルジェリア、チュニジア、リビアの沿岸部を根拠地として海賊行為を行ったイスラム教徒の船乗りの総称。
オスマン帝国の保護を受けており、私掠船の一種ともいえる。
活動範囲は広大で、地中海はもとよりインド洋、シナ海、バルト海、大西洋、さらにはアメリカ近海、カリブ海にも進出した。また彼らはイギリスのテムズ川をさかのぼり、各村を襲ったという記録もある。さらに1627年にはアイスランドを襲った。実際には地元人よりも、ギリシャやイタリアなどからやってきてイスラムに改宗し、かつての同胞に海賊を働く冒険者たちが数多く含まれた。その一人バルバロス・ハイレッディンは、1538年、プレヴェザの海戦で、スペインを破った。また、1801年には、通行料の支払いを拒絶したアメリカ合衆国とのトラブルがバーバリ戦争に発展した。なお、英語では"Barbary pirate"と書くため、英語名での読みは、バーバリ海賊となる。

参考URL:海賊Wiki
[PR]
by cluracan | 2012-01-13 17:04 | Discovery


大航海時代onlineの1プレイヤーの日記


by cluracan

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ

全体
Top
Diary
Company
Link
Travel
Discovery

以前の記事

2012年 12月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2009年 01月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月

フォロー中のブログ

チハ改のDOL雑記@乙鯖

メモ帳

その他のジャンル

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧